メモ

リトアニア語とカント

リトアニア語はインド・ヨーロッパ語族のなかでラテン語に比べられる古さを持ち、サンスクリット語との類縁性が指摘されるなど、比較言語学のうえで重要な言語とされているが、ジョナス・メカス『どこにもないところからの手紙』(asin:4879956546)の「第十…

キリストという思想

*1 ロバート・フランク(Robert Frank, 1924-)の映画『イエスの罪(Sin of Jesus)』(1960)で天使に扮するジョナス・メカス イエス・キリストと同じ日に生まれたために、誕生日の贈り物も、誕生日の手紙も貰えず、クリスマスプレゼントしか貰えないと嘆く…

日記の整理という仕事

*1「日記の整理」、「日記の仕事」という言葉に今更ながら驚いていた。ジョナス・メカス著『どこにもないところからの手紙』(村田郁夫訳、書肆山田、2005年)asin:4879956546の「第十の手紙 1995年1月」の中にこうある。 毎年一月になると、わが家はささや…

権力と自由

若い二人のブロガーの一見かけ離れたように見える言葉がひっかかった。 「政治的であることなのか」(『takuo.. .』2008/01/23) 個人の政治性をウェブとしてどう全体化し形成出来るのか、そんなテーマで考えていこうと思います。 「五年後の目くばせ」(『…

リトアニアの悪魔とフィンランドの悪魔

Hugo Simberg : The Farmer's Wife and the Poor Devil, 1899, 19x12,9, paper (A II 968:34) *1前エントリーで取り上げた『フローズン・フィルム・フレームズ――静止した映画』(木下哲夫訳、河出書房新社)の第三部に、以前、"Nowhere"の解釈へのこだわりか…

映画と写真の「間」:ロラン・バルトとジョナス・メカス

From Jerome Hill's window, Cassis, 1966. From the film, Notes for Jerome Winter in Soho, December 1977. From the film, Paradise Not Yet Lost ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1980)の古い研究ノート「第三の意味 エイゼンシュテインの映画から…

Nowhere=Paradiseに対する違和感

昨日のエントリー「Langasさんの『リトアニアへの旅の記録 2001年夏』:日記と本の境界の揺らぎ」の終りで"I Had Nowhere to Go"(1991)というメカスの著書のタイトルの"Nowhere"の意味に対するこだわりについて少し書いた。実はそのひとつの背景に、次のよう…

デジアナ折衷路線

「ジョナス・メカスの365日映画の軌跡------記憶と忘却の狭間で」(仮題)という論文というか研究ノートを書いていて、副題にある通り、私自身、記憶と忘却の狭間で翻弄されている。見ないと思い出せないことが多い。見ると思い出せる。ただし、見る方法が難…

活版印刷ワークショップ続報、アフンルパル探究企画

篆刻師兼ブルース歌手でもある酒井さんが主催する活版印刷ワークショップが実現しそうでとても嬉しい。 活版印刷ワークショップ。(『古い日記』2008年01月07日) 「漉いた和紙に印刷することも出来」るらしい。ワクワクする。いかにもアートっぽい企画なん…

残酷さを秘めた最高に美しい「復讐」の宣言

heiminさんがいいことを書いていた。 「おいどんはただ生きてるだけよ」(『平民新聞』2008-01-11) そして何かに負けたわけでもなく、勝ったわけでもない、ただ生きている、それだけのことよ、という当たり前の事実を受けとめて、ぼくは口笛でも吹きながら…

何のための書籍電子化なのか?

「simpleA」でややあきれ気味に報告されているわが国の書籍電子化動向をたいへん興味深く読んだ。 [書籍電子化]最低でも知っておくべきこと(2008年01月09日) [書籍電子化]ホントに、国会図書館には3000万冊もあるのか?(2008年01月10日) そしてすぐに、…

ジョナス・メカスがコトラーに繋がる

ジョナス・メカスの「個人映画」に関するテクストでこれを凌ぐものはなかなかないだろうとかねがね思っている蓮實重彦「個人映画、その逸脱の非構造」がよもやウェブ上に存在するとは思ってもみなかったが、一部存在していた。しかし宙に浮いたような不思議…

野生のフォークソノミー、ジョナス・メカス365日映画の軌跡

年末から二本の論文の執筆に追われている。一つは明後日が締め切りで、もう一つは18日が締め切り。明後日締め切りの論文は先ほどなんとか完成のメドがたった。タイトルは「野生のフォークソノミー------検索可能世界の意味」、要するにフォークソノミーを大…

一理は百害に通ずることもある

人生や世の中が百の要素が相互に複雑に絡まり合って進行するものだとすると、一部の専門家や物知り顔の評論家が一の要素に関して主張するその時点での「真理」を鵜呑みにすることは、百の要素から成る世の中、人生にとってはそれこそ百害を及ぼしかねないと…

Googleが狙う情報の組織化と私が行う情報の組織化

『南無の日記』経由で『平民新聞』版の気合いの入った「はてなダイアリーアワード2007」(2007-12-26)を知った。平民さんはこう語る。 スタイルも違えば読んだ印象も全然違うし、そして当たり前ですが書いてる方たちの日記というものに対する考え方も一人一…

受容と再出発

人はそれまで半ば無意識的に反射的に自制したり拒否したりしていたものを受け容れたときに再出発できるのだと再認識した。12月7日のエントリー「ピナ・バウシュ:「鬼」を飼う女」で引用したピナの言葉が身に滲みる。 私とダンサーたちは、日が変わるたびに…

Bésame Muchoに関する大きな誤解

昨日、「最近、色んな方面の話題の中に、『別れの作法』を見ようとしている自分がいることに気づいた」と書いた。相手が女(男)でも、会社でも、組織でも、あるいは国家だろうが、とにかく自分が関係したり、所属したりしている相手から離れる、別れるとき…

NON GRATAの思想とマニフェスト

昨日のジョナス・メカスによる365日映画の紹介でちょっとだけ触れたかなり飛んでるパフォーマンス・アート集団NON GRATAに興味が湧いた。ウェブ上に彼らに関する日本語情報は見られない。ちなみに、"Non Grata"という命名の由来はおそらく外交用語の一つにも…

優しさ、調子外れ、越境の作法

昨日のジョナス・メカスの365日映画紹介の中でメカスが朗読する詩「君に優しくなりたい」("I Want to be Sweet to You")についてちょっとためらいを感じながら「シンプルな愛の詩」と書いた。ためらったのは、見かけとは裏腹に内容は決して単純でも素朴で…

ニック・ゼッド(Nick Zedd)について

昨日のメカスの365日映画で登場したアメリカのアンダーグラウンド映画界の奇才ニック・ゼッド(Nick Zedd, 1958-)に関しては、ウェブ上にまとまった日本語情報は存在しない(グーグルで「ニック・ゼッド」を検索すると、私の昨日のエントリーが三位にランキ…

Google自動翻訳の開発路線はいかに

一年半ほど前に、Google自動翻訳の八ヶ月間の進歩について報告した。 2006-07-08「自動翻訳」 そのとき試した原文はこうだった。 THE ISLAND CAME OUT OF THE OCEAN as isolated isles, then the keys became mountains and the shallows, valleys. Later th…

アルチュール・ランボー「岬」:「海角殿」という小林秀雄の訳語

一昨日の「ジョナス・メカスによる365日映画」に登場したアルチュール・ランボー(Jean-Nicolas-Arthur Rimbaud, 1854-1891)に関して、手元にあった懐かしい薄い本、小林秀雄訳『地獄の季節』(岩波文庫、1982年第27刷発行)を何度も手に取ってぱらぱらと捲っ…

語りの作法

単に経験「を」語るのではなく、経験「で」語ることができるようになること。単に「私の世界」を見せる、示すだけに終わるのではなく、あなたとシェアできる部分があると思うんだけど、どうかな、と働きかけること。若きウィトゲンシュタインが『論理哲学論…

新雪の上の『グラヌール』No.9

(新雪の上の『グラヌール』と絵葉書)昨日届いた『グラヌール』No.9(石塚出版局, 2007.12)に、昨年暮れの印象深い夕暮れの集い(12月22日、12月23日、12月24日、12月26日)を思い出させてくれる吉増剛造さんの文章が載っていた。私の恩師である工藤正廣さ…

ブラジルとロシア

何かの符合のように、今日、別々に注文してあったレヴィ=ストロースの「SAUDAGE DO BRAZIL---A PHOTOGRAPHIC MEMOIR」とゲンナジイ・アイギの「FIELD - RUSSIA」が同時に届いた。前者に関しては今福龍太さんに刺激されたという経緯があった(「レヴィ=ストロ…

体と地球

毎朝散歩しながら、自分の体と地球を感じている。別に環境問題について考えながら歩いているわけではないが、自分の体についてちゃんと知ることは地球について知ることにつながっているとなぜか感じている。ただひたすら身近な現実、その変化をよく見る、観…

誰でもいい、耳を傾けてくれる人がどこかにいる

先日、関東在住のブロガーの方が訪ねてくださって、一晩色々と語り合った。もちろん、実際に会うのは初めてだった。しかしそれまでのブログを介してのコミュニケーションですでに大きな信頼関係が出来上がっていた。これは体験してみなければ分からないこと…

ジャパニーズ・タコ部屋物語は如何に

simpleAの「アメリカン・タコ部屋」の話が実に多面的に面白い。 「アメリカン・タコ部屋物語(第2話)」 興味をひかれたのは複利という法制度の欠陥といったあたりだったが、なかでも「複利」という概念そのものに特に興味が湧いた。英語ではCompound Intere…

本当(Reality)について

私たちは日々何かを探している。突き詰めて言えば、「本当」(reality)を探している。それは引いてみたときには相対的な価値にすぎないかもしれないが、当人にとっては絶対的な価値である。各人がそれぞれにとっての「本当」を探している。それは実際には多…

クレンスとメカスの接点:ジョナス・メカスによる365日映画の裏側

それにしても、リトアニアの首都ヴィリニュスに誕生したヨーロッパの新たな文化的拠点のひとつとして位置づけれたジョナス・メカス視覚芸術センター(Jonas Mekas Visual Arts Center)、そしてアラブ首長国連邦の首都アブダビの無人島に建設中のおそらく中…